2024年06月09日
本を読みましょう!温故知新 ガン関連出版物「モデルガン・チャレンジャー」
モデルガン・チャレンジャー(以下MC)とは1983年から1年半ほどMGCが発行していたトイガン雑誌です。
1983年6月発行の創刊号はリアルタイムで買いましたが、その後は近年になって一冊だけボッコフで入手したのみ。
つまり今までその2冊以外読んだことがなかったのですが、去年経年劣化のほとんどない美品を全20冊入手する機会がありました。
改めて読んでみると、モデルガンを喰う勢いのエアソフトガンの台頭に危機感を覚えた当時業界の盟主的存在だったMGCが、生き残りを図るべく情報発信源として雑誌を創っちゃった…、みたいな印象を受けます。
それをMGC一社で賄えてしまうところに、この企業の当時の隆盛ぶりが伺える訳ですが。

コンバットマガジン(以下CM)誌からメインライター2名を引っこ抜いて華々しくスタートを切ったMC誌。
モデルガンのレポート記事などは、体裁も(何ならライターも…)含めてCM誌のモデルガンテストレポートをそのまんま横展開ですね。
また先行するライバル誌と毛色を変えようとしたのか、創刊号からしばらくは車やバイク、おもちゃ、果てはミニコンポ(!)などの記事があったりします。
反面、モデルガンが国家権力により如何に理不尽な扱いを受けているか等の告発的な記事も多いです。

メイン記事はメインライターが得意としていたレースガン関連が多く、これは将来的にシューターワンを使用した銃競技の普及を目論んでのことだったんでしょうか。
それは結果的にジャパンビアンキカップ第一回大会の開催と云うことで花開く訳ですが…。
とにかく、シューターワンをモデルガン再興の切り札と考えていた節が伺えます。

1984年2月号からサイズがA4→B5にダウンされ、同時に価格も¥700→¥500に値下げされます。
ちなみに同年代のGun誌、CM誌ともB5サイズで定価¥700でした。
つまりモデルガン・チャレンジャー(以下MC)誌は、既存のライバル誌に対してサイズや価格で常にアドバンテージを保っていたと云うことですね。

まだ全て読んでないですが、MGCは規制の緩かったエアソフトガンが引き起こす社会的な事件によって、モデルガンも巻き添え的な規制を被ることを恐れていた感じですね。
そのため世論の醸成を狙ってか、エアソフトガンがいかに危険かというネガティブキャンペーン的な記事が数多く見受けられます。
ですがメインの読者層(読者投稿ページを見る限り10~20代か?)は、その記事で却って弾の飛ぶエアソフトガンに興味を抱いてしまったのではないでしょうか。
まさにその世代にどストライクの"新人類"第一世代な管理人も、エポックメイキングなエアソフトガン(BSバッファロー、タカトクSS9000、マルゼンマークスマンガバ、
マルゼンミニウージー、コクサイスーパーウェポンM700等)は興味津々で購入してましたし…。
大人(団塊の世代?)が正論を説いても、受け手がしらけ世代(または新人類)では笛吹けども踊らず…、ですかね。

モデルガン凋落の流れに贖えなかったかMC誌は1985年の1月に休刊(実質廃刊)してしまいます。
しかし、その後間髪入れずに同社よりエアソフトガンの大傑作M93Rが発売され、スーパーヒットを放ちます。
つまりエアソフトガンに対するネガティブキャンペーンを張りながらも、並行して完成度の高いエアソフトガンを開発していた訳です。
決して貶しているわけではなく、時代の趨勢をしっかり掴んですべきことをするのは企業として正しい(あるべき)姿ですよね。

MC誌は当時Gun誌とCM誌が熱い戦いを繰り広げる中に果敢に割って入った訳ですが、結果として壮大なマーケッティング活動に終わってしまったと云うところでしょうか。
1983年6月発行の創刊号はリアルタイムで買いましたが、その後は近年になって一冊だけボッコフで入手したのみ。
つまり今までその2冊以外読んだことがなかったのですが、去年経年劣化のほとんどない美品を全20冊入手する機会がありました。
改めて読んでみると、モデルガンを喰う勢いのエアソフトガンの台頭に危機感を覚えた当時業界の盟主的存在だったMGCが、生き残りを図るべく情報発信源として雑誌を創っちゃった…、みたいな印象を受けます。
それをMGC一社で賄えてしまうところに、この企業の当時の隆盛ぶりが伺える訳ですが。
コンバットマガジン(以下CM)誌からメインライター2名を引っこ抜いて華々しくスタートを切ったMC誌。
モデルガンのレポート記事などは、体裁も(何ならライターも…)含めてCM誌のモデルガンテストレポートをそのまんま横展開ですね。
また先行するライバル誌と毛色を変えようとしたのか、創刊号からしばらくは車やバイク、おもちゃ、果てはミニコンポ(!)などの記事があったりします。
反面、モデルガンが国家権力により如何に理不尽な扱いを受けているか等の告発的な記事も多いです。
メイン記事はメインライターが得意としていたレースガン関連が多く、これは将来的にシューターワンを使用した銃競技の普及を目論んでのことだったんでしょうか。
それは結果的にジャパンビアンキカップ第一回大会の開催と云うことで花開く訳ですが…。
とにかく、シューターワンをモデルガン再興の切り札と考えていた節が伺えます。
1984年2月号からサイズがA4→B5にダウンされ、同時に価格も¥700→¥500に値下げされます。
ちなみに同年代のGun誌、CM誌ともB5サイズで定価¥700でした。
つまりモデルガン・チャレンジャー(以下MC)誌は、既存のライバル誌に対してサイズや価格で常にアドバンテージを保っていたと云うことですね。
まだ全て読んでないですが、MGCは規制の緩かったエアソフトガンが引き起こす社会的な事件によって、モデルガンも巻き添え的な規制を被ることを恐れていた感じですね。
そのため世論の醸成を狙ってか、エアソフトガンがいかに危険かというネガティブキャンペーン的な記事が数多く見受けられます。
ですがメインの読者層(読者投稿ページを見る限り10~20代か?)は、その記事で却って弾の飛ぶエアソフトガンに興味を抱いてしまったのではないでしょうか。
まさにその世代にどストライクの"新人類"第一世代な管理人も、エポックメイキングなエアソフトガン(BSバッファロー、タカトクSS9000、マルゼンマークスマンガバ、
マルゼンミニウージー、コクサイスーパーウェポンM700等)は興味津々で購入してましたし…。
大人(団塊の世代?)が正論を説いても、受け手がしらけ世代(または新人類)では笛吹けども踊らず…、ですかね。
モデルガン凋落の流れに贖えなかったかMC誌は1985年の1月に休刊(実質廃刊)してしまいます。
しかし、その後間髪入れずに同社よりエアソフトガンの大傑作M93Rが発売され、スーパーヒットを放ちます。
つまりエアソフトガンに対するネガティブキャンペーンを張りながらも、並行して完成度の高いエアソフトガンを開発していた訳です。
決して貶しているわけではなく、時代の趨勢をしっかり掴んですべきことをするのは企業として正しい(あるべき)姿ですよね。
MC誌は当時Gun誌とCM誌が熱い戦いを繰り広げる中に果敢に割って入った訳ですが、結果として壮大なマーケッティング活動に終わってしまったと云うところでしょうか。