2013年02月07日
タミヤ1/24 スバルインプレッサ(…とその時代)
タミヤ1/24のプラモデル、スバルインプレッサです。
左よりノーマルのGDB、4ドアWRカー、2ドアWRカーとなります。
それぞれキットの発売と同時に購入しました。それはもう造る気満々で…。
最近はミニカーの出来が異常に良いのでコツコツとプラモを造るのが馬鹿らしくなってここ10年程カーモデルはあまり造っていません。
“インプレッサの時代”というものが確かにあった気がします。
シックなソニックブルーを身に纏い、絶頂期には圧倒的な強さで数々のタイトルを獲得。
模型やミニカーの世界でも人気者でしたね。
スバラー以外の人や子供達の認知度も高く「スバル車もメジャーになったな~」と思ったもんです。
スバルは2008年にWRCから撤退してしまいましたが大株主のトヨタがWRCに色気を出している現在、スバルが復帰する可能性は低いでしょうね。
私もご多分にもれず熱中してしまった一人です。
そういう時代だったんです…笑。
インプレッサ2ドアWRカーは1997年のワールドラリーカーカテゴリーの開始と共にデビューしました。
ライトポッドも勇ましいこの個体は、1998年モンテカルロのナイトステージ仕様です。
ペッタぺタのローダウン&スリックタイヤが精悍なターマック仕様です。
たまにこの状態で雪上を走ったりするのがモンテカルロの面白いところ…。
…と言うか観客がドライの路面に雪を投げ込むんですが(汗)。
ドライバーはコリンマクレーで結果は3位でした。
残念なことにマクレーは2007年にヘリコプターの墜落事故により39歳で逝去してしまいます。
来日時、新宿スバルビルに名物サポーターのスコットランド衣装を着たバグパイプおじさんを先頭に登場したお茶目なマクレー。
スバルビルではやはりワークスドライバーのポッサムボーンを見た事がありますが、彼も2003年に自動車事故で亡くなっています。
その昭和の香り漂うスバルビルもあと数年で取り壊しですね。
(地下にある新宿の目は残して欲しいなぁ…)
例によってフォルムにタミヤデフォルメが入っていますが、ちょっと強烈すぎな気がします。
あまりにもワイド&ローを強調しすぎて逆に薄っぺらい印象を受けてしまいます。
その後スバルワールドラリーチームはWRカーをGDBインプレッサの登場に合わせ4ドアボディにスイッチします。
デビューは2001年です。
タミヤは2001年のモンテカルロ出場車をモデルアップしています。
こちらのフォルムは過度なデフォルメも無く素晴らしい出来だと思います。
ドライバーはリチャードバーンズですが彼も2005年に34歳の若さで病没しています。
あまりにも短期間にスバルで活躍したドライバー/ナビゲーター(1993年にはPボーンのナビのロジャーフリースがラリー中に亡くなっています)が立て続けに亡くなり
さらにマクレーの訃報を聞いた時は正直鳥肌が立ちました。
この頃のタミヤのラリーカーはデカールの質が悪くてボディに馴染まず貼りにくいし、今回久しぶりに見たら経年変化でパリパリに割れてました(号泣)。
同じタミヤのラリーカーでもセリカ(ST185)の頃のデカールは素晴らしい品質だったんですが。
リヤホイールのネガティブキャンバーもキッチリ出ておりツライチ加減も精悍で、ターマック仕様の魅力が存分に感じられます。
ベース車のGDBインプレッサと。
市販車のGDBは7年のモデルライフの間に毎年のように改良が加えられ、戦闘力の向上が図られました。
タミヤのGDBは意外な程あっさりした造りでフロントホイールもステアしません。
プロポーションもデフォルメが限りなく控え目で実車の持つボテッとした感じをありのままに伝えています(笑)。
WRカーのプラモに比べて価格差もそんなに無く、相対的に割高さを感じましたね。
左よりノーマルのGDB、4ドアWRカー、2ドアWRカーとなります。
それぞれキットの発売と同時に購入しました。それはもう造る気満々で…。
最近はミニカーの出来が異常に良いのでコツコツとプラモを造るのが馬鹿らしくなってここ10年程カーモデルはあまり造っていません。
“インプレッサの時代”というものが確かにあった気がします。
シックなソニックブルーを身に纏い、絶頂期には圧倒的な強さで数々のタイトルを獲得。
模型やミニカーの世界でも人気者でしたね。
スバラー以外の人や子供達の認知度も高く「スバル車もメジャーになったな~」と思ったもんです。
スバルは2008年にWRCから撤退してしまいましたが大株主のトヨタがWRCに色気を出している現在、スバルが復帰する可能性は低いでしょうね。
私もご多分にもれず熱中してしまった一人です。
そういう時代だったんです…笑。
インプレッサ2ドアWRカーは1997年のワールドラリーカーカテゴリーの開始と共にデビューしました。
ライトポッドも勇ましいこの個体は、1998年モンテカルロのナイトステージ仕様です。
ペッタぺタのローダウン&スリックタイヤが精悍なターマック仕様です。
たまにこの状態で雪上を走ったりするのがモンテカルロの面白いところ…。
…と言うか観客がドライの路面に雪を投げ込むんですが(汗)。
ドライバーはコリンマクレーで結果は3位でした。
残念なことにマクレーは2007年にヘリコプターの墜落事故により39歳で逝去してしまいます。
来日時、新宿スバルビルに名物サポーターのスコットランド衣装を着たバグパイプおじさんを先頭に登場したお茶目なマクレー。
スバルビルではやはりワークスドライバーのポッサムボーンを見た事がありますが、彼も2003年に自動車事故で亡くなっています。
その昭和の香り漂うスバルビルもあと数年で取り壊しですね。
(地下にある新宿の目は残して欲しいなぁ…)
例によってフォルムにタミヤデフォルメが入っていますが、ちょっと強烈すぎな気がします。
あまりにもワイド&ローを強調しすぎて逆に薄っぺらい印象を受けてしまいます。
その後スバルワールドラリーチームはWRカーをGDBインプレッサの登場に合わせ4ドアボディにスイッチします。
デビューは2001年です。
タミヤは2001年のモンテカルロ出場車をモデルアップしています。
こちらのフォルムは過度なデフォルメも無く素晴らしい出来だと思います。
ドライバーはリチャードバーンズですが彼も2005年に34歳の若さで病没しています。
あまりにも短期間にスバルで活躍したドライバー/ナビゲーター(1993年にはPボーンのナビのロジャーフリースがラリー中に亡くなっています)が立て続けに亡くなり
さらにマクレーの訃報を聞いた時は正直鳥肌が立ちました。
この頃のタミヤのラリーカーはデカールの質が悪くてボディに馴染まず貼りにくいし、今回久しぶりに見たら経年変化でパリパリに割れてました(号泣)。
同じタミヤのラリーカーでもセリカ(ST185)の頃のデカールは素晴らしい品質だったんですが。
リヤホイールのネガティブキャンバーもキッチリ出ておりツライチ加減も精悍で、ターマック仕様の魅力が存分に感じられます。
ベース車のGDBインプレッサと。
市販車のGDBは7年のモデルライフの間に毎年のように改良が加えられ、戦闘力の向上が図られました。
タミヤのGDBは意外な程あっさりした造りでフロントホイールもステアしません。
プロポーションもデフォルメが限りなく控え目で実車の持つボテッとした感じをありのままに伝えています(笑)。
WRカーのプラモに比べて価格差もそんなに無く、相対的に割高さを感じましたね。
この記事へのコメント
新着記事からお邪魔しました。
立て続けにスバルのドライバーが
亡くなった当時、自分は本気で
ソルベルグの命が心配になりました。
杞憂で良かったと今は思っています。
立て続けにスバルのドライバーが
亡くなった当時、自分は本気で
ソルベルグの命が心配になりました。
杞憂で良かったと今は思っています。
Posted by Sheepdog at 2013年02月07日 18:11
Sheepdogさんはじめまして。
ソルベルグ>全く私も同感です。
彼が良くやる箱乗りドーナッツターンとか危ないので止めて欲しいですね。見ててヒヤヒヤします(笑)。
ソルベルグ>全く私も同感です。
彼が良くやる箱乗りドーナッツターンとか危ないので止めて欲しいですね。見ててヒヤヒヤします(笑)。
Posted by SUNSUN at 2013年02月07日 23:29
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